巡陽紀2『炎の精霊と乙女が浴びた血の色の話』
2025/04/04 01:39
2025/04/04 02:44

雪の国の人々は、やがて暖かい場所を求めて分厚い雪をかきわけ、掘り進んで、大地のぬくもりを知りました。
ずうっと雪が降っていて分からなくなっていたけれど、その銀色の膜を壊した先には温かい地面があったのです。それを知った人々は、みな必死で地面を掘り進めました。いつか、その先に豊かに暮らせる場所があると信じました。
しかし地面の中にいたのは、人ならざる魔物達でした。暖かい場所を求めて大地の下へ潜り始めた人々と、元から大地の中にいた魔物達はぶつかり合い、争いました。その戦いの中で、多くの命が眠りについたと言われています。
やがて人々は、そして魔物達も悟るのです。このまま争いを続けていれば、人も、魔物も皆滅びてしまう。暖かいはずの地面の中さえも、銀色の雪に閉ざされてしまう、と。
ある時人と魔物は争いをやめ、約束を交わしました。その内容は、大地に温もりを与えている、炎の精霊を人の国に与える代わりに、人は二度と地中を侵略しないようにする、というものでした。
炎の精霊はその約束のために地上へ向かうことになりました。
しかし精霊は人のような体を持たず、力だけの不思議な存在でした。そのままでは、地上で長く生きることはできません。
それを解決するために、精霊は肉体を欲しました。「この世界で最も美しい女の体になりたい」と、精霊はそう望みました。
その望みに応えるために、雪の国の王様は、世界中から美女を探し集めました。
多くの美しい女が迎えられましたが、精霊は「もっと、もっと美しい女がいるはずだ」と言ってなかなか納得することはありませんでした。
そんな時、銀色の乙女クリスティーナの噂が王様の耳にも入りました。
王様はたくさんの金貨を用意して、クリストファーに彼女を差し出すように頼みました。しかしクリスティーナを深く愛していたクリストファーは、いっこうに頷きませんでした。
「彼女は私の妻となる娘です。たとえ無限の金貨を与えられても、たとえ世界の命運と引き換えだったとしても、絶対に渡すことはできません」と。
王様は何度も何度もクリストファーを説得しようとしましたが、ついにクリストファーが首を縦に振ることはありませんでした。
しびれを切らした王様はとうとう、部下の将軍に言いつけて、無理やりクリスティーナを奪うことにしたのです。
王様の命令を受けた若い将軍は、名前をベネディクトと言いました。彼は王様の命令通りに兵隊を引き連れて、クリストファーの家を襲いました。
王様の力強い軍隊を前に、たった一人のクリストファーはひとたまりもありませんでした。たちまちに彼は殺され、家は焼かれ、中に閉じ込められていたクリスティーナは外へ連れ出されました。
クリスティーナは、ずっとずっと長い間家の中に閉じ込められていました。ずっとずっと、外の世界に憧れていました。
クリストファーのことを愛していたでしょうか? その時はもう、彼女自身にも分かっていませんでした。
ただ、家を取り囲む炎の海が、そして自分を愛していた男が真っ赤な血を流して眠っている姿が、彼女の目には、この世の何よりも美しく見えたと言います。
「お迎えにあがりました、クリスティーナ殿」
そう力強く微笑んだ将軍ベネディクトを見て、クリスティーナは美しい笑顔を浮かべて彼の手を取りました。彼女はその時思ったのです。「私は、やっと自由になれたのだ」と。
王様の城に迎えられたクリスティーナを見て、ついに炎の精霊は意を決しました。「この者こそが、世界で最も美しい女に違いない」と。
その時から、炎の精霊とクリスティーナはひとつの命となり、地上をあまねく照らす豊穣の女神となったのです。
地上を覆っていた銀雪はたちまちに溶け流れ、大地には草花が萌え出だし、暖かい風が命の種を運び、世界は明るく美しい景色に覆われました。
人々は初めて春を知り、生命の喜びをたたえ、この時から多くの幸せを地上に芽吹かせたのです。
その色鮮やかな時の訪れを、後世の私達は「薔薇色の時代」と呼んでいます。